疎開 長岡・越路

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半藤さんは昭和20年、東京大空襲を生き延びた後、母親の故郷茨城県へ疎開し(下妻)、さらに父親の故郷新潟県に疎開しています。
父親の出身地岩野という集落になりますが合併で自治体が変わっています。
  1. 疎開した昭和20年当時当時は古志郡石津村
  2. 1955年(昭和30年)3月31日 – 三島郡来迎寺村・岩塚村・塚山村と合併し、三島郡越路町となり消滅。
  3. 2005年4月1日に越路町は長岡市に編入された。岩野は新潟県長岡市岩野となって今日に至る。
地図:釜ケ島と岩野で古志郡石津村を形成、その後越路町岩野→今は長岡市岩野


2、疎開先で何をされていたかは「magazine9」サイトのインタビューで話されています。
magazine9「半藤一利さんに聞いた」

様々な興味深い経験を話されています。

以下、少し引用ピックアップします。
  • 下妻中学では勤労動員で日立製作所でネジを作っていた。
  • 小貝川で釣りをしていて米軍P51に機銃掃射を受けた。
  • 長岡中学でも勤労動員で津上製作所でネジを作っていた。
  • 工場裏でデートして非国民扱いだった。
  • 終戦で覚悟して初めてタバコを吸った。
そのほか面白いので読んでみてください。