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長岡駅前に有った長崎屋情報リンク集
長岡駅を出て駅前ロータリーの左側に長崎屋のビルがありまして、駅前ロータリー側は全面ガラスで各界にベンチがある休息場所になっていました。
ゲームセンターやボーリング場もあり、とにかく楽しい長崎屋でした。
色々思い出のある人は多いと思います。
情報ページを集めてみました。
昔の長岡に関して凄い詳しいサイトです。掲示版方式になっていまして、様々な人の登校がありますので下の方へスクロールしてください、どうぞ。
★長崎屋のサンバードin長岡:はまちのハイ・ウォーロックへの道
長崎屋喜多町店と駅前店の2つを紹介しています。両店舗の写真があってさらにサンバードの歌も聞けます。
★長崎屋 ~7階建ての聖地: 爆走!スノーダンプ特別篇・ぼくらの聖地
様々な人の長崎屋に関するメッセージに満ちています。かなり通の話も・・・^^
下にスクロールしてゆくと様々なお話に巡り合えます。
ということで、長岡駅利用者・駅前バスの利用者は特にお世話になった長崎屋長岡駅前店。
その情報リンク集でした。
明治から昭和初期の長岡駅周り、スタンフォード大の地図から。
昔の長岡市、長岡駅周りはどうだったのでしょう。
アメリカのスタンフォード大学が昔の日本地図を公開しています。(測量は1888年)
そこから抜き出したのが下記(※大学は地図の利用を許可しています。)

興味深いでしょ^^
左上から、
商業高校はずっとこの場所でしたよね。水道町。
一つの文化があったよな、ここに。
高女高と女師校は知りません、大手高校と長岡女子高の先祖でしょうか?
・・・・・と書いていましたら、コメントをいただきました。
「高女は今の大手高校で、昔は東神田にありました。女子師範学校が今の新潟大学の教育学部の前身です。戦前から付属があったそうです。」
概ねこういう内容でした。
素晴らしい、新大は教育学部も工学部もみんな新潟市に行きました。
でも新潟大学付属幼稚園・小学校・中学校は今も長岡市にあります。
校長先生は新潟大学の教授、女性です。女子師範学校の系譜そのものですよね。
つまり、私たちはとかく「日本は敗戦によってがらりと生まれ変わって民主主義国家になった」なんて思いこんでいますが。
今の長岡市を構成する大事なものは戦前から今日まで繋がっているものであり、民主主義も知っていられる方は多いと思いますが、しっかり太平洋戦争が始まる前から日本は民主主義国家で選挙が行われていました。
1925年に25歳以上の男子全員に選挙権が与えられていました。(勝取ったものではないですが)
日本は戦前からとっくに民主主義国家だったのです。
ただし、女性の参政権は戦後からです。
横道にそれましたが、貴重な戦前から続く長岡市を教えて頂いた「KY」様、大変ありがとうございました。
話しは戻ります・・・
公会堂は厚生会館ですよね、すぐ隣の「文」は阪之上小学校でしょうか。
大きな二重丸は長岡市役所ですよね。
アオーレ長岡は近くに戻ってきたのです。
中学校は長岡高校ですね。
井上円了も山本五十六も半藤一利も半藤末利子もここの卒業です。
高工校は後の新潟大学工学部かと。
長岡に技術の大学を、が、長岡技術科学大学の誕生に繋がっています。
その左の「工業校」は長岡工業高校、ここも県内屈指の技術の高校。
今の南中学校の場所ですね。
油田発見・掘削技術発展から長岡市は日本屈指の技術の市だったのです。
新川はまだ痕跡を残していますね(柿川が信濃川とショートカットする場所、今のウオロク近辺)
長岡駅周辺、昔の中心街、大型店マップ
長岡駅前や東口には大型スーパーやデパートや専門店が集まったビルや食品スーパーなど実に多くの大型店がありました。
その他にも何階建てにもなる衣料品店や大型家具店も複数ありました。
で、土日はまるで東京のどこかの町のような大賑わい。
旧長岡市以外、周辺市町村のほか魚沼からも柏崎からも多くのお客さんが来ていたようです。
あのハリウッドスター渡辺謙もたしか湯之谷村なので小出駅から長岡に行くのが楽しみだったとどこかに書いてありました。
で、地図を作ってみました。

おぼろげなので、特に2つの原信の位置は自信がありません。
間違いは教えてください^^。
いろいろ間違いのご指摘ありがとうございます。丸大・チュリップストア・マミーストア等修正いたしました。
ただ今バージョン4.0です、ありがとうございます。
世界最新兵器ガトリング砲はここにあった!長岡駅=長岡城
150年前、長岡城内外で実戦に使われたらしいですので。もし長岡駅や長岡市中心街でスマホかなんかで偶然この記事を読んでいるあなた。あなたの居るところにあのガトリング砲があったのかもしれません!
実物が見たい方はどうぞ河井継之助記念館へ!駅から歩いて行ける距離です。
実物と言っても写真も絵も残されていないので様々な資料を基に長岡の方が作られたものです。

で、北越戦争で長岡藩が負けた後、これがどうなったか全く不明なのです。
何処かに隠されたのか、廃棄されたのか、会津に持って行ったのか、はやまた他所に持って行ったのか。
とても高価な武器なのでおいそれと処分は出来なかったと思います。
そうです、長岡駅周りには大変なミステリーがあるのです。
あなたも推理してみてください!
ヒントは下記ページに有るかもです。
★越後の長岡藩のガトリング砲の行方は?今どこに?探しましょう。
謎の長岡駅なのでした…
川の立体交差!長岡駅から徒歩14分 福島江と柿川サイフォン
福島江は信濃川の水を引いた用水です。
長岡市の信濃川右岸の水田を潤す重要な用水です。
その効率化を図る為、川を越えて下流まで供給できるようにしています。
右岸の信濃川支流は短い川で水量の増減が激しく田んぼの水が欲しい時に供給できなかったりします。稲作りは水管理が極めて重要、田んぼの水を増やしたり乾かしたりを時期に応じて繰り返しますので水が供給できないのは死活問題なのです。
そこで、水量豊富な信濃川の水を引いているのが福島江なのです。
で、川の立体交差の場所は下記。

地図は国土地理院の電子国土を利用
長岡駅から徒歩約14分です。
拡大すると下記

柿川も福島江も南から北に流れています。南が上流になるのです。
上の地図では福島江が柿川の下をくぐって交差しています。
これを「伏せ越し」というらしいですが一般的にはサイフォンと呼ばれています。
工事は大正10年らしいです。
すごいですね。
注意:福島江は一旦地下をくぐります、ですので物凄く危険なのです。(福島江は用水であることから水量も多く死亡事故がたまにあり、特にこのサイフォンの場所は危険なので金網が張ってあります。あまり近づかないほうが賢明です。)
ここをレポートしたブログがありましたのでリンクします。
★柿川伏越工を訪ねる(柏町9階 西向きの窓辺 -kasalog-)
サイフォンの構造図も掲載されています。是非読んでください。
川の立体交差を見た事の無い方はどうぞ^^
よく考えてみると、日本の米作りの執念の場所なのかもしれません。