2004年 |
10月23日
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17:56/M6.8/MAX震度7
17:59/M5.3/MAX震度5強
18:03/M6.3/MAX震度5強
18:07/M5.7/MAX震度5強
18:11/M6.0/MAX震度6強
18:34/M6.5/MAX震度6強
18:36/M5.1/MAX震度5弱
18:57/M5.3/MAX震度5強
19:36/M5.3/MAX震度5弱
19:45/M5.7/MAX震度6弱
19:48/M4.4/MAX震度5弱
21:44/M5.0/MAX震度4
23:34/M5.3/MAX震度4 |
新幹線脱線 wikipedia とき325号ありがとう
停電 306,000世帯 断水 129,750世帯 ガス 56,000世帯
携帯電話 ドコモ61ヵ所 au37ヵ所 ボーダフォン91ヵ所 停波
各市町村に災害対策本部が設置される
新潟県、自衛隊に出動要請
県内ラジオ局一斉に災害情報に切替り |
新潟県 地震被害関連情報
中越地震Wikipedia
新潟大学調査団 |
10月24日 |
14:21/M5.0/MAX震度5強
23:00/M5.1/MAX震度4 |
山古志村長島村長「全村避難」表明
長岡市災害ボランティアセンター開設 |
10月25日
マリ一家取残される |
00:28/M5.3/MAX震度5弱
06:04/M5.8/MAX震度5強 |
新潟県知事交代 泉田知事が震災中に就任
自衛隊炊き出し開始
山古志村災害対策本部設置
山古志村緊急ブログ開設 |
山古志村村民村外へヘリコプターで避難
(避難先は長岡市と小千谷市)
マリと子犬、そして多くのペットが取り残される。 |
10月26日 |
避難者約10万人(ピーク)、避難所数最大約600ヵ所まで伸びる |
10月27日 |
10:40/M6.1/MAX震度6弱 |
長岡市妙見の土砂崩れ現場から幼児が奇跡的に救出される |
山古志村全村避難終了 |
JR長岡駅外壁が崩壊する可能性があるとして一時閉鎖 |
FMながおか
新潟県中越地震災害対策用FM放送局の開設 |
10月28日 |
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10月29日 |
山古志村一時帰村(ヘリ) |
10月30日 |
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10月31日 |
長岡市ボランティアセンター、エンタメボランティア募集開始(心のケアの必要性) |
11月1日 |
04:35/M5.0/MAX震度4 |
魚沼市・南魚沼市が合併により出来る |
11月2日 |
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11月3日 |
長岡市のボランティア数延べ5000人を超える |
11月4日 |
08:57/M5.2/MAX震度5強 |
11月5日 |
関越自動車道の通行止め解除 |
11月6日 |
02:53/M5.1/MAX震度4 |
天皇皇后両陛下が見舞いに来られる |
11月7日 |
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11月8日 |
11:15/M5.9/MAX震度5強
11:27/M5.0/MAX震度4
11:32/M5.1/MAX震度4 |
山古志村役場長岡事務所が新潟県長岡地域振興局から長岡市役所幸町分室に引越し |
11:16/M5.9/MAX震度5強
新潟日報夕刊に偶然マリが吠える写真が掲載される。飼い主は最初あまりにもやせていて気づかず。 |
11月9日 |
04:15/M5.0/MAX震度4 |
11月10日
マリ一家保護される |
03:43/M5.3/MAX震度5弱 |
11月10日までの本・余震数 合計742
震度7–1
震度6強–2
震度6弱–2
震度5強–8
震度5弱–5
震度4–39
震度3–90
震度2–211
震度1–384 |
飼い主五十嵐豊さんが山古志でマリ一家を保護、大手高校グラウンドにヘリで降り立つ。
そのまま三島町の預かり先へ行く。 |
11月11日 |
保護されてから初めての散歩 |
11月23日 |
読売新聞に掲載される 「生きていたワンツースリー」 |
11月24日 |
仮設住宅完成により避難所から仮設住宅への引越し始まる |
12月10日 |
マリの子のチビとクロが貰われてゆく。 |
12月18日
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長岡大学の学園祭兼復興祭で動く紙芝居「がんばれ山古志村のマリ」が演じられる |
12月22日 |
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12月25日 |
残った一匹も仮設住宅の直ぐ裏の家に貰われてゆく(山古志でも隣り同士) |
12月28日 |
18:30/M5.0/MAX震度5弱 |
上越新幹線全面復旧により運転再開(今までは長岡–越後湯沢間が運転見合わせ) |
12月29日 |
長岡市災害ボランティアセンターが仮設住宅団地の近くに引越し |
12月31日 |
長岡市にて復興の為のカウントダウンイベント、花火も打ちあがり紅白歌合戦に映像が流れる |
マリが五十嵐高繁さんと再会 |
2005年 |
1月12日 |
大雪に伴い除雪ボランティアの募集が始まる
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1月20日 |
山古志村物資受け入れ停止 |
1月21日 |
山古志災害ボランティアセンター・社会福祉協議会が仮設住宅団地に移転 |
1月31日 |
再度寒波来襲、大雪となる |
2月19日 |
長岡市のゆきしか祭りにて山古志の火祭り「賽の神」が村民・ボランティアにより行われ意気込みを見せる。 |
2月25日 |
山古志村のマリと三匹の子犬が文藝春秋より出版 |
4月30日 |
五十嵐高繁さん退院、仮設住宅へ。マリも里親の家から仮設住宅へ引越し |
5月1日 |
山古志住民がようやく自由に山古志地域に入れるようになる。午前7時~8時、午後6時~7時。(許可必要、それまでは指定日だけ入れた) |
5月4日 |
山古志の「牛の角突き」が長岡市内の仮設闘牛場で復活(東山ファミリーランド) |
5月12日 |
山古志村の仮設住宅団地付近に「生きがい健康農園」がオープン、畑で体を動かすことが可能に。 |
6月5日 |
小千谷の「牛の角突き」が復活(白山公園) |
6月28日 |
集中豪雨、各地で被害が出る |
7月22日 |
長岡市山古志地域の虫亀、竹沢、小松倉、種苧原の四集落、法末(小国町)の全世帯、西谷(越路地域)、濁沢町などの一部、小千谷市東山地区の避難指示・勧告が解除 |
8月2日
3日 |
祭協議会と市民の手により長岡花火にて復興祈願の為のフェニックス花火が打ちあがる。(自称世界一の大仕掛け花火)
マリの顔形の花火のスターマインも打ちあがる |
8月13日 |
山古志仮設住宅団地内にて大盆踊り大会が開催される |
8月21日 |
長岡市小国町で震度5強の地震11:29 |
10月23日 |
中越大震災1周年、追悼・復興祈願式典が各地で開かれる。 |
11月6日 |
長岡市青葉台(山古志仮設住宅団地隣接)で市主催の防災訓練が行われる。 |
12月1日 |
初雪 |
2006年 |
5月13日 |
仮設住宅にてマリが子犬2匹を出産
(先の3匹と父親は同じ) |
7月4日 |
虫亀診療所が再開 |
7月6日 |
種苧原診療所が再開 |
7月 |
マリの白いオスの小犬が越路地域に貰われてゆく |
7月25日 |
雷の稲光と雷鳴に驚きマリが倒れ危篤状態となり、動物病院へ搬送。(仮設住宅は壁が薄くその影響と思われる) |
8月2日 |
東京都千代田区の神田明神神輿が復興祈願で長岡に、大勢の市民と共に山古志の中学生も担ぐ。当時の募集ページ |
9月1日 |
山古志支所業務開始(旧山古志村役場) |
9月 |
マリが動物病院を退院(一部麻痺が残るがその後のリハビリにてほぼ解消) |
10月 |
山古志小学・中学校が完成授業始まる |
10月23日 |
震災2周年、各地で追悼式が開催される |
12月19日 |
山古志3地区に杉を使った和風木造の罹災者公営住宅が完成し入居住民が仮設住宅より引越し |
2007年 |
1月 |
マリが無事であることが確認でき、跡取り用だった子犬が貰われてゆく。 |
2月4日 |
五十嵐高繁さん再入院と豊さん多忙の為、再度里親へマリが預けられる。 |
2月27日 |
安部首相が山古志仮設住宅団地を激励訪問 |
3月12日 |
旧山古志村住民より長岡市への感謝を込めた「感謝の碑」除幕式(越後丘陵公園内)(山古志仮設住宅団地に隣接) |
4月1日 |
山古志地域の池谷、大久保、楢木、木篭、梶金(マリの集落)の避難指示がようやく解除 |
7月16日 |
中越沖地震発生、柏崎市・刈羽村・出雲崎町、長岡市西部で大きな被害。 |
9月16日 |
山古志インデペンデンス・ボード・ウォークが完成しお披露目(山古志闘牛場周辺、その後闘牛場増築で撤去、使われていた板は展示中) |
10月22日 |
長岡市リリックホールにて映画「マリと子犬の物語」の試写会が全国に先駆けて開催される。 |
10月23日 |
震災3周年、祈念式典が各地で開催される。
山古志地域では山古志闘牛場を中心として「やまこしありがとうまつり」が開催され全国の皆様へ感謝を捧げた。 |
10月31日 |
復興支援ミュージカル ユイナシビトが長岡リリックホールにて上演される |
11月28日 |
山古志にて「マリと子犬の物語」特別試写会が行われる 特別試写会の模様 |
12月8日 |
映画「マリと子犬の物語」全国公開 初日舞台挨拶の模様 |
12月11日 |
マリと子犬の物語が初登場全国1位となる。 |
12月23日 |
仮設団地隣接の国営越後丘陵公園にて山古志の帰村式が行われる |
12月27日 |
中越沖地震後の柏崎市にて「マリと子犬の物語」特別上映会が開催される。その模様 |
12月29日 |
五十嵐家山古志村に完全引越し、ついにマリも山古志に帰る |